小学校の英語活動について                             もどる
小学校の英語活動について書かれた記事は、さがせばたくさんあると思いますが、いくつか紹介します。
「(8分間のDVDを)9年間聞けば必ず話せるようになる」という江村教育長の仮説、「英語が話せるおかざきっ子の育成」を目指す市教委の方向性は、文科省の狙いや専門家、実践校の取り組みと比べてもかなりハードルが高いように思います。

他にも参考になる資料がありましたら、投稿フォームで知らせてください。

小学校の英語教育は必要か
2009.5.24 18:00 http://sankei.jp.msn.com/life/education/090524/edc0905241800000-n1.htm  産経ニュース:日本の議論より
小中一貫の英語教育を実践する奈良市立田原小中学校。授業は全て英語で行われ、子供たちはのびのびを体を動かしながら英語表現を学んでいた=2009年5月(栗井裕美子撮影)
 「英語を使える日本人」を育てるため、新しい学習指導要領で導入された小学校5、6年生の「外国語活動(英語)」が、この4月から一部の学校で先行スタートした。これまでの文法中心の英語教育ではなく、小学生時から英語になじむことでコミュニケーション能力を高めようという狙いだが、「週1時間の授業で役に立つのか」「日本語もままならない段階なのに…」と反対意見も依然として根強い。「脱ゆとり教育」に舵が切り替わり、授業時間数が増える中で新たに英語が加わることが教師にとっても負担になっているという声もある。週1時間ほどの授業で、子供たちは英語を使いこなせるようになるのだろうか。
■英語の教員免許持つ小学校教諭は3%
 そもそも、今回導入された小学校での外国語活動とはどういうものなのだろうか。
 新しい学習指導要領では、平成23年度までの3年間で、小学5、6年生に外国語活動(英語)を必修化していくとしている。あいさつや買い物、学校での活動といった身近な場面を想定した週1〜2コマの授業で、小学生の時から英語に触れて「聞く」「話す」といったコミュニケーション力を高めようという狙いがある。
 文科省では平成4年から、全国で200校前後を研究指定校にして、小学校での英語教育に取り組んできた。こうした長年の活動の結果、平成19年度の文科省調査では、何らかの形で英語教育に取り組んでいるという公立小学校は97%にものぼった。しかし「定期的な授業だけでなく、地域の外国人との交流会といったイベントなども含まれていた」(同省担当者)としており、小学校での英語教育が定着しているわけではなかった。
 今回の制度では授業の計画を立てるのは、学級担任や英語専任の教員で、実際の授業は、市町村教委が学校に派遣するネーティブスピーカーの外国語指導助手(ALT)らを活用する。
 しかし、英語専任教員を配置していない教育委員会も多く、ALTも全国で約4000人。文科省の19年度調査では、6年生の英語教育で指導に当たっているのは94・0%が学級担任だった。「クラスの学力レベルなどを一番把握しているのは、やはり学級担任。最後は、どうしても担任の先生に頼らざるを得ない」と文科省担当者。
 それでは、小学校教員のうち、どれだけの先生が英語授業の経験を持っているのだろうか。
 「全国に約40万人いる小学校教諭で英語の教員免許を持っているのは、わずか3%。ほとんどの先生は英語の授業についての経験がない」と文部科学省の幹部は指摘する。
■「ペラペラ話せるわけじゃない」
 このような状況で、週1回、年間35時間ほどの教育にどれくらいの効果があるのだろうか。
 「勘違いされている方も多いが、小学校から英語教育を始めるからといって、何もペラペラと話せるようになるわけではない。やはり週1時間の授業なのだから、幼児教育で英語を学ばせるのと同じような効果は期待できない。あくまでも異文化への理解を深め、コミュニケーション能力を高めていくための入り口なんです」と文科省幹部は強調する
。新しい学習指導要領では、外国語教育は必修化だが、決して「教科」ではなく、成績評価もない。
 通信教育最大手のベネッセコーポレーションが昨年夏に実施したアンケートでも、中学校の英語教員の79・3%が小学校から英語教育をすることで「英語を聞くことに慣れる」とは思う一方、68・7%は「将来、英語を話せるようにはならない」と受け止めていることが明らかになった。さらに、51・0%の教員は、小学校で英語教育をしても中学校での英語学習がスムーズになるとは考えていなかった。どうやら、小学校から英語教育を導入しても、英語の成績が上がるというわけではないようだ。
■「楽しくない」が半数以上
 では、「学ぶ」側の子供たちはどう受け止めているのだろうか。
 「小学校での英語学習は?」
 とても楽しかった   25人
 楽しかった      56人
 あまり楽しくなかった 50人
 楽しくなかった    37人
 この少々ショッキングなデータは、東京都内の区立中学校の女性教諭が行ったものだ。この区立中学校の学区では、文部科学省の研究指定校として小学1年生から英語教育を行っている小学校がある。教諭は昨年秋、こうした小学校で6年間英語教育を受けてきた中学1〜3年生計168人を対象にアンケート調査を実施した。その結果、小学校で受けてきた英語の授業が「楽しくなかった」生徒は87人と半数を上回った。
 その理由は、何とか子供たちに英語を楽しんでもらおうとしている教師にとってはがっかりしそうなものばかりだ。「何を言っているのか分からなかった」「ゲームばかりで、ろくに言葉を覚えられなかった」「遊びが多すぎる」「先生だけがハイテンションだった」「意味も分からずに英単語を発音していた」…。
 さらに小学校での英語授業が役に立ったかという質問には、「役に立っていない」と感じている生徒が108人にものぼり、全体の6割を超えた。この教諭は「本当に小学校英語が有効なのか疑問がわく」と報告している。
 しかし、悲観的な結果ばかりではない。神奈川県の小学校教諭が実施した別のアンケートでは、英語教育を受けた児童約150人のうち96%が「楽しい」と答えたという。この教諭は「英語教育の出だしで楽しさを感じてくれるような授業をすれば、英語嫌いにはならないはず」と話している。
■教師にとってはマイナス?
 とはいえ、肝心の「教える」側は不安を抱えたままだ。
 「はっきりいって、発音には自信がない。研修は受けたが、どうすれば効果的に子供たちに伝わるのか今でも不安だ」。都内の小学校に勤務する男性教諭(38)はこう漏らす。
 男性教諭の小学校では、小学5、6年生の授業で週1コマを英語に割り当てている。5年生の担任をしている男性教諭は英語の教員免許は持っていないが、この週1コマのため、歌やクイズなどを取れ入れた授業計画や児童が興味を持つような教材作りを考えるだけでかなりの時間を費やすという。「授業時間数が増えた今、慣れない英語教育の授業の構成を考えることは、負担が増えただけで教師にはマイナスだ」。
 英語専任という神奈川県内の小学校教諭(48)も「1コマ分の授業計画を立てるだけで何時間もかかる。他の教科や学級通信などを抱えた学級担任がするとなると、なかなか中身まで充実させるのは難しい」と訴える。
 文科省では、こうした教員の負担を少しでも軽くしようと、「英語ノート」という補助教材を独自に作成し、各校に配布している。これには教材の活用法を事細かに解説した指導資料や、音声データなどを盛り込んだデジタル版も用意するなど至れり尽くせりだ。さらに、各教育委員会を通じて、効果的な授業計画の作り方などを指導する教員研修も繰り返し行っている。
 しかし、旺文社が昨夏、公立小学校で英語教育を担当する教員に対して行ったアンケートでは、教員の52・5%が英語教育の導入に不安を感じているという実態が浮かんだ。年間35時間を行うための環境の整備状況についても、「進学先の中学校との情報交換」で79・8%の教員が、また「同一中学校に進学する近隣小学校との情報交換」では76・4%が整っていないと感じていた。
 「先生たちは、小学校間や小・中学校との間で情報交換が十分でない中、どの程度のレベルで、どういった授業をすればいいのかということに不安を感じている。中学校の先生が求めているレベルもみえず、近隣の小学校との間でレベルにばらつきがあるようでは困るし、ただコミュニケーション能力を高めようと言われても、足を踏み出しにくいのは仕方がない」と教育関係者は指摘する。
■なぜ賛成? なぜ反対?
 小学校英語の「推進派」と「反対派」の意見を聞いてみよう。
 「推進派」の文部科学政務官の参議院議員、浮島とも子氏は「従来の英語教育は、中学校に入ってから『読む』『聞く』『書く』『話す』という4つの技能を一度に学び始めることに問題があった。あいさつや自己紹介程度の基本的なコミュニケーションは小学校の段階で慣れ親しんでおくことが大切」と説明する。やはり、小学校英語は、きっかけ作りなのだ。
 そして、「音楽を楽しむような感じで進めてもらう中で、中学や高校の外国語学習につながるような『コミュニケーション能力の素地』を養っていければいい。テストの得点といった成績の善しあしでなく、『分からなくてはいけない』という気構えを取り払うことが重要」と理想の小学校英語のあり方を話す。
 こうした意見に対し、「国家の品格」などの著書で知られる数学者の藤原正彦氏は「小学校は基礎となる母国語をしっかり学ぶ時期で、母国語が固まる前に外国語を学ばせるのは理解できない」と真っ向から反論。「授業時間が週100時間あるなら別だが、現実には二十数時間で、最も大切な『読み書きそろばん』だけで手いっぱい。英語を教える余分な時間は全くない」とも指摘する。
 では、どうすればいいのだろうか。「小学校では母国語を固め、中学では英語を週3時間から5時間くらいに増やし、高校では選択科目とする。将来、研究者や商社マンになりたい人は英語を猛勉強しなければならないが、大多数の日本人は無理してまで学ぶ必要はない」と藤原氏。
 いずれにしても、英語がペラペラ話せるようになるには、かなりの努力と時間が必要のようだ。

それでもやるべき? 小学校英語
現場から見えた問題点 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/570?page=1  2009年10月21日(Wed) 木村麻衣子
WEDGE Infinity 日本をもっと、考えるより
‘Do you like sushi?’
‘Yes, I do !’
 埼玉県蓮田市のある小学校。5年生のクラスから聞こえてきた、担任の先生の質問に元気に答える子どもたちの声。英語の授業である。
 アルファベットソングを歌ったり、上記のような基本的な表現を、踊りながら練習する。英語に慣れ親しむには、一見良さそうなアクティビティだが、中にはまったく踊らない子、隣の子とふざけ合う子など、1列に1人ぐらいは見受けられる。
 授業の中盤では、その日ごとに変わる活動のメインテーマの単語を覚える。この日は「衣服」に関するワードだ。
 担任の先生が黒板に貼ったカードを指しながら発音の見本を示す。‘jacket, skirt, ブラウザー…’
 ‘ブレイザー(blazer)!’
 担任の先生が、blazerの発音を間違えた。そこですかさず正しい発音を提示したのが、サポーターと呼ばれる、英語に堪能な日本人である。
 サポーターに指摘され、担任の先生もすぐに発音を正す。しかし、生徒は混乱気味だ。「ブラウザー」「ブレザー」と声が飛び交う。
 ‘Let’s play game!’
 授業の最後には、テーマの単語を使用したゲームを行う。この日は、色と衣服の組み合わせを使ったフルーツバスケットだった。
 鬼がBlue skirt!と言えば、青いスカートを着ている子が席を移動する。席は人数より1つ少なくなっているので、座れなかった子が次の鬼。しかし、英語の授業は極力日本語を使わないというスタンスのため、英語でのルールの説明を生徒はほとんど理解できないまま、ゲームはスタート。みんな周りをキョロキョロ見回し、訳が分からず困っている。
 ある男の子が鬼になった。何を言ったらいいのか分からないのか、それとも恥ずかしいのか、とにかく今にも泣き出しそうだ。
 ゲームの時間は約15分。生徒たちのボキャブラリーが尽きるには十分すぎる時間だ。どうなるかというと、終盤、鬼が言うことはずっとblack T-shirts!の連続となる。日本語ならもちろんいくらでも応用は利くが、英語ではこれが限界のようだ。
ゲームに飽きてきたやんちゃな男の子たちがふざけ出す。騒がしくなり鬼の声が聞こえなくなる。こうなるとゲームはもう成り立たない。
現在、日本の公立小学校のほとんどで、英語の授業が行われている。その中で、「子どもたちのリスニング力が上がった」「外国人にも物怖じしなくなった」など「効果」を伝える声も聞こえてくる。いや、むしろ世間ではそのような部分にしか光が当たっていないが、残念ながら実態は良いことばかりではない。生徒にとって害となる場合も、大いにあり得るのだ。
■誰が英語を教えるのか
 2011年から小学校5・6年生で、年間35時間「外国語活動」が「必修化」となる。国語や算数などの「教科」とは扱いが異なる点がポイントだ。「必修化」の場合、教科書や数値による評価がない。必修化までの経緯を簡単に辿ると、2002年度の小学校における「総合的な学習の時間」が創設され、いわゆる「ゆとり教育」が始まった。その学習内容として、国際理解が挙げられ、全国の小学校で英語活動が行われるようになる。さらに、同時期に文科省が打ち出した「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」という言語政策や、世論や産業界の影響など、多くの要因が複雑に絡み合い、2006年には、文部科学省中央教育審議会外国語専門部会が、「小学校での英語教育を必修化する」という結論を出した。
文部科学省が作成した外国語活動のための補助教材「英語ノート」
 「教科化」ではないため、全国共通の教科書はないと述べたが、補助教材として「英語ノート」というテキストが存在する。しかし、もちろんこれは「教科書」という位置づけではないので、授業中に使用する強制力はない。さらに、音楽や図工のように、専科の先生が常駐しているわけでもない。では、誰がどのように教えているのか。
 一つは、担任の先生が中心となるケースである。この場合、最も深刻な問題は、先生の「英語力」である。発音や基本的表現など、英語に初めて触れる生徒たちにとって、非常に重要となる入門期の指導を、「英語」教授の面では素人の担任の先生が行うとどうなるか。生徒が間違った発音や言い回しを覚えてしまうかもしれない。
 二つ目は、ALT(Assistant Language Teacher)やNT(Native Teacher)と呼ばれる、外国人の先生がメインの場合だ。もちろん、「本物」の英語に触れるという点ではベストな人材であろう。しかし、外国人の先生が最初から最後までずっと英語でまくし立ててしまうと、ほとんどの生徒は内容を理解できない。予算が潤沢で有名な港区内の小学校を取材した際、外国人の先生がオールイングリッシュで1年生の授業を行っていたが、ポカンとしている子が半数以上だった。そこで、助け舟となるのが担任の先生であれば良いのだが、ネイティブの通訳を担任に求めるのはシビアであろう。
 また、外国人の先生は、英語の話し手としてはもちろん申し分ないが、「英語が話せる」=講師として「英語を教えられる」という方程式は成り立たない。例えば、正しい発音はできても、それをどうしたら音として発せられるのか指導できるALTは少ないだろう。
 上記の点は、ALTの雇用形態からも覗える。文科省の調査では、ALTの雇用に際して、国が仲介するプログラムを活用した例が25%、残りは民間業者への委託などによる、という内訳になっている。
詳しく見てみると、まず、国のプログラムに関しては、元々「親日家」を増やすことを目的としていたものであり、英語教育のためというわけではない。応募する側の意識も、「大学卒業後の海外経験」という感覚が多いようだ。「日本語の教え方を学んだわけではない日本の大学生が、卒業後に海外に渡り、日本語を教える」ということを想像すれば、その質が明らかだろう(『危うし! 小学校英語』鳥飼玖美子著)。また、今年の7月28日付の読売新聞によると、民間業者への委託に関しても、業者間の激しい価格競争により、講師としての質を考慮せず、いかに安く落札するかということを優先し、その結果簡単に授業を投げ出してしまうALTと学校間でのトラブルが多発しているそうだ。
 三つ目は、サポーターや地域人材と呼ばれる、英語が堪能な日本人の存在である。サポーターにおいても、契約の形態は様々であり、自治体で採用方法を確立していなければ、学校が地域にビラを配って必死で確保する、といった方法を取らざるを得ない。日本語も英語も話せるサポーターは学校にとって非常に魅力的であるが、結局はビラ配りのような方法の場合、「『夫の海外勤務に1年間付いていったから英語が話せる』生徒の母親」などが教壇に立つことになり、ネイティブ同様、英語をきちんと「教えられる」知識を持っているかどうかということが問題となる。
 また、それをクリアしている場合でも、別の問題が発生する。英語の話せない担任と日本語の分からないネイティブの間に立たなければならないという「仲介役」としての負担。そして、サポーターという自分の立場。杉並区立和泉小学校でサポーターとして働く、山田史織氏は、このように語る。「生徒たちが騒がしくなった場合、担任ではない自分がどこまで踏み込んで叱るべきか躊躇する。このような時に、担任の先生が抜群のタイミングで生徒たちを叱ってくれると、授業がスムーズに進められる」。とはいえ一般的な現実はというと、サポーターにお任せで何もしないという担任も、年配の人ほど多いようだ。
 教材については、先述した補助教材である「英語ノート」が唯一の全国共通テキストである。「教科化」ではなく「必修化」とはいえ、公教育として実施しているにも関わらず、教える側の体制、基準となるテキストや指導法が確立していない状況に首を傾げずにはいられない。
■小学校英語は何を目指すのか
 ここまで見ても分かるように、小学校の英語活動は「現場に丸投げ」なのである。それは、文科省の指導要領やその解説書からも窺える。
・「各学校においては、児童や地域の実態に応じて、学年ごとの目標を適切に定め、2学年間を通して外国語活動の目標の実現を図るようにすること」
・「指導計画の作成や授業の実施については、学級担任の教師又は外国語活動を担当する教師が行うこととし、授業の実施に当たっては、ネイティブ・スピーカーの活用に努めるとともに、地域の実態に応じて、外国語に堪能な地域の人々の協力を得るなど、指導体制を充実すること」
(両項目とも「平成20年3月文部科学省 小学校学習指導要領 第4章外国語活動 第3指導計画の作成と内容の取り扱い」より)
そもそも小学校の英語活動の目標とは何か。それは、「外国語を通じて、言語や文化について体験的に理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら、コミュニケーションの素地を養う」と文科省は指導要領中で謳っている。しかし、結局のところ「コミュニケーションの素地」が何を指すのか明確な説明はない。「教育には必ず目的と目標が伴う。それらが曖昧なままでは、生徒にどんな結果をもたらそうとも、誰も責任を問われない。」と、小学校英語導入に先陣を切って反対の立場をとってきた、言語学者である慶應義塾大学教授・大津由紀雄氏は危惧する。
 仮に、コミュニケーション能力が、「自分の意思を相手に伝えること」や、「積極的にコミュニケーションを図ろうとすること」や、「相手の言いたいことを正確に理解すること」であるとしたら、なぜそれが英語というツールである必要があるのか。「世界の共通語としての英語」を掲げ、その重要性をもってして反論はいくらでも出来るだろう。しかし、自分の意見を述べたり、相手の意図を理解したりといった、高度な思考力を必要とする作業は、まずは母語で訓練すると考えるのが自然ではないか。
 明確なガイドラインや教える側の準備が整わないまま、それでも現在、5年及び6年で英語活動を実施している学校は全国で約98%にまで上る。その中で、誤った発音を覚えたり、発音について正しい指導を受けられなかったりという問題だけではなく、生徒たちの英語嫌いが増えているという声も後を絶たない。立教大学大学院教授で通訳者としても第一線で活躍した鳥飼玖美子氏は、「私の教え子の中学校教師が、入学直後の生徒たちに、英語に関するアンケートを行った結果、すでに英語が嫌いという生徒が年々増えている」と語る。
 英語嫌い、授業が混乱するといった問題に関して、「国語や算数などの他の教科にも同様の現象が起きているはずだ、英語が特別ではない」と考える人もいるだろう。もちろん、全ての生徒が英語を好きになり、楽しく授業に臨めるということはないかもしれない。しかし、知識もなく教授法を身に付けていない小学校の担任主導の英語や、通訳なしのネイティブによる英語のシャワーによって、「英語は意味の分からないもの」「つまらない」と感じてしまうことは、少なくとも指導法を学んだ中学英語教諭が教える場合ならば、その割合は減少するはずだ。この点においては、小学校で始めることが、子どもたちにとって害となると言うことは、過言ではないはずだ。
「何で数字の2が入ってるの?」
 また、小学校の英語活動では、細かい文法を学ぶことはほとんどなく、発話の中の間違いは正されないことが多い。「楽しく」英語を学ぶことが第一と考えられているからだ。しかし、「英語の中には、間違うと絶対に通じないという致命的なものがある。そもそもそれを教える側が認識しないまま、子どもたちに刷り込んでしまうことが問題だ」と、鳥飼氏(前出)は指摘する。また、横浜市内の小学校でサポーターとして働く、翻訳家でもある水野麻子氏は、生徒から「‘アイムファイン サンキュー トゥー’(I’m fine thank you, too) って言うけど、何で数字の2が入っているの?」という質問を受けた。「高学年の生徒ほど、思考力がついているため、文法の説明をしないことがかえって思考の混乱を招くこともある」(水野氏)と述べる。子どもの発達過程を考慮すると、事はそれほど単純ではないようだ。
 他にも例を挙げれば切りがない。「例えば、boyとboys、どちらが主語になるかによって、be動詞がisになったり、areになったり、動詞に3単現のSがついたりする、ということを何も説明せずにひたすら発話の反復練習をしたところで、生徒たちはどれほど理解できるか、ということです。『理解する必要はない。細かいことは気にするな』と考える人たちもいるようですが、それは英語を学ぶことの意味を根本から覆してしまいます。そして、身に付けてしまった間違えた知識を正すというのは、思っている以上に大変なことだというのは、自身の経験からも、中学校の先生たちの声からも言えます。」(前出・大津氏)という意見もある。このように、言語において入門期の指導がいかに大切であるかは、有識者たちが警鐘を鳴らし続けていることから容易に想像し得る。
■親たちの過度な期待
 親たちは「早くから学校で英語をやってくれるなら、ありがたい」という程度の認識しかない場合が多いようだ。それどころか、荒川区内の小学校では、英語活動を参観した父兄から、「歌やダンスのような遊びではなく、もっと読み書きなどをやってほしい」という声すらあったそうだ。週1回程度の授業で、英語がペラペラになるというような幻想を抱いている親たちが、実際の活動を知ったとき、どうなるのか。この点は、明海大学名誉教授でもあり、元文部省調査官として小学校も含めた全国の学校の英語の授業を見てきた、和田稔氏も指摘している。親の期待と小学校の実態は乖離しているのだ。
 今回の必修化に向けた動きは、世間一般(親たち)の希望や、産業界の圧力という、漠然とした大きな「流れ」のような影響力の結果と言われることが多い。繰り返しになるが、「英語は世界の共通語である」ことは間違いではないだろう。しかし、冷静に考えてほしい。日本国民の中で、日常生活において英語を流暢に使いこなさなくてはならない人はどれぐらい居るのだろうか。もちろん、英語は話せるに越したことはない。異文化に触れることで、子どもたちの視野が広くなることも否定はしない。それでも、小学校の授業時間数は限られている。その限られた時間の中で何を教えるべきか考えた時、英語の優先順位はどの程度なのか。週に1時間とはいえ、それを2年間、体制の整っていない授業に費やしてしまうことが、どれだけ子どもにとってマイナスかを考えて欲しい。
 今回、文科省に今後の動向に関する取材を申し込んだが、「決定事項以外は話せない」と拒否の返答だった。世間に迎合する「小学校英語導入」というカードを切ってしまった文科省は、国民の反撃を受けた「ゆとり教育」の二の舞にならないためにも、今後の動きに慎重にならざるを得ないのだろう。しかし、そんな手探りの中での試みによって、大げさに聞こえるかもしれないが、犠牲となる子どもたちは増えている。
 準備不足のまま、2011年の必修化スタートを迎えることは避けたい。そのためには、指導者の確保やその予算の確保・均等な分配など、国が早急にやるべきことは多々ある。そして、より根本的には、現状を踏まえた上で、小学校で英語を導入することの可否を今一度真剣に議論する場を設けるべきではなかろうか。

小学校英語に関する活動
小学校英語に関する活動は、わたくしが研究成果の社会還元の一環として行っているものです。以下に、その活動に関する情報の一部を掲載します。
大津由紀雄   http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/eigo/  慶應義塾大学
2006/11/06 ■「小学校に英語がやってくる?〜教室で何が起きているか〜」を視聴して
2006/09/01 ■小学校英語についての見解 --- 2007年8月31日新聞各紙の報道について---
2006/04/03 ■「小学校英語」についての意見
2006/02/14■「小学校での英語教科化に反対する要望書」全文

毎日新聞 連載          
先生:競争の現場から
/1 「いい子」が荒れ始めた
副校長の机に積まれた「週案」の山。校長と副校長は担任の授業計画すべてに目を通す=東京都内の中学校で、佐々木順一撮影  「ぼくはできません」。運動会のリレー選手に選ばれて断る子などいるのだろうか? 4年前、東京都杉並区の小学校で6年生を担任していたベテランの男性教諭は驚いた。
 男児は成績優秀、運動能力も抜群で、クラスのリーダー的存在だった。2週間かけ説得したが、私立の進学校を目指しており、朝の練習が負担だという。次のタイムの子にも次々断られ、本番まで冷や汗の連続だった。
 翌年も6年生を担任した。別の学級では、成績上位の複数の男児が教師を困らせていた。消火器を道路にぶちまける。1年生相手に鉄の棒を振り回す。最後はみな、有名私立中に入学していった。
 受験組は塾で成績順に座らされる。杉並区では小3から中3まで毎年、区の学力テストがある。小4と中1は都の、小6と中3は国の学力テストもある。
 「ゆがんだ競争で成績のいい子が荒れ始めている」と男性教諭。疲れきって他校に転任した教員もいた。「情熱を持った先生がつぶれていく」。男性教諭は唇をかんだ。
   ■   ■
 教育特区として、5年前から小中一貫英語教育を始めた金沢市。
 「うちは5割を超え、平均より上でした」。ある市立中学校の職員会議で、校長が3年生の英検3級取得率を報告すると、ほっとした空気が流れた。金沢では小3から英語を「教科」として教え、成績もつける。小6で中1の教科書を学び、中3の英検3級取得率は42・8%と全国平均の2倍以上だ。
 市教委は独自に英語の副読本を作り、どこまで進んだか、副読本で何時間勉強したか−−などについて、各校に報告を命じている。
 「足りないと何か言われると思い、時間数を水増ししたこともある。管理が強まるほど、気持ちがすさむ」。英語の男性教諭はため息をつく。
 ビートルズの歌を聞かせ、歌詞の意味を考える。英語を楽しめるそんな授業を実践してきたつもりだが、最近は「授業の進め方をがっちり固められ、ためらってしまう」。小学校で既に英語コンプレックスを持ち、授業についていけない子をどうすべきか、日々悩む。
 金沢市は04年度から2学期制にして行事を減らし、国が定めた標準より30〜90時間多い授業数を確保。独自の指導基準「金沢スタンダード」を作り、小5で台形の面積の求め方を習うなど、国の標準より多くの項目を学ぶよう義務づけてきた。
 反発する教師もいる。
 「スタンダードで教える項目を朱書きしてください」。授業計画である「週案」に、金沢独自の取り組みを赤ペンで書き込めという市教委の指示を、ある50代教諭は無視している。「自主性を奪っている。教師は『これさえやれば文句をいわれない』と、一人一人に合わせた指導を考えなくなる」と批判する。
 金沢市教委はいう。「先生にはきついと思う。100%受け入れてもらえたわけではないが、学校が自立する過程の最中で、努力してもらいたい」
   ×   ×
 学校では今、全国学力テストをはじめとする競争や、数値目標による教師や学校の管理が進む。現場に先生を訪ねた。
/2 ゆがみ生む「教員評価」
 大阪の府立高校の女性教諭(56)は、春が来るたびに気が重くなる。教員の通信簿というべき「教員評価」の資料となる、年間目標の提出を求められるからだ。
 「出さないのは君一人だよ」。校長に言われたのは04年。「国語を教える私を、社会科が専門の校長がどうして評価できるのか」。それから6回目の今春も納得できず、提出を拒否するつもりだ。
 年間目標は年度初め、自己申告票に書き込む。秋に進ちょく状況、年度末には達成状況を校長に報告。校長はこれらと自らの判断に基づき、SとA〜Dの5段階で評価を下す。大阪府教委は評価制度を5年前に始め、2年前から評価を給与に反映させている。申告票を出さない教員は「評価結果がない」と昇給を止めている。
 「校長にすり寄る教員はいない。けれど……」。勤め先の高校では、生徒を英語スピーチコンテストに参加させるなど、張り切った振る舞いをする同僚が増えた。授業計画を相談し、苦手分野の指導法を学びあうことも減った。教諭は嘆く。「評価が教員間の競争を生み、分断してしまった」。退職まであと4年。昇給がないまま、定年を迎えそうだ。
   ■   ■
 教員評価に道を開いたのは、教員の資質向上のため「能力や実績の適正評価が必要」とした、02年の中央教育審議会答申だ。文部科学省は「根強い横並び意識で、適切な勤務評定が行われていない」と、翌年度から都道府県に評価の調査研究を委嘱し、事実上、導入を勧めた。ほとんどの都道府県が試行や導入に踏み切っている。
 大阪府のほか東京都も、4段階で最低評価の教員は昇給幅を抑える。しかし、給与への反映には反発も強く、当面は人事や昇任の参考資料とする自治体が多数派だ。
 埼玉県内の中学校で教員評価を経験した元校長は証言する。
 「校長も現場も仕事が増えただけ。管理職側は『教育委員会が言うから仕方なくやっている』感じで、教員は『給与に関係ない』と思い、どうでもいい、という雰囲気」
 さらに「校長なら経験のある人もいると思う」と前置きし、ゆがんだ実情を話した。「指導力がなく異動させたい人には、意図的にAを付ける。目に留めた他校が引っ張ってくれるから」
 どんな組織でも評価は必要だと、元校長は考える。しかし「子どもとうまくやっているようでも成績が上がらなかったりと、評価は難しい。給与に関係してくれば、問題児を持ちたがらなくなる傾向が出ることも予想される」と不安視する。
 東京大の勝野正章准教授(教育行政学)は昨年、全国の小中高と特別支援学校から無作為抽出した約3800校に教員評価に関するアンケートをした。
 校長1368人、校長が調査に同意した学校の教員664人が回答。「教育成果を教員に帰するのは難しく、給与に反映すべきでない」の問いに、校長でさえ肯定が54%で、否定の42%を上回った。「教育水準を高める効果があったか」の質問でも、教員は肯定21%、否定69%と否定する意見が大勢で、校長も肯定46%、否定39%と割れた。
/3 学力向上、何でも数値化
 カーペットの上で寝息をたてる妻(55)を、起こそうかどうか迷った。小学校教諭を務める妻は普段なら、日付が変わるころまで持ち帰った仕事をするが、夕食後、横になり寝てしまったのだ。
 昨春まで中学校教諭をしていた夫(60)は言う。「しんどいのはよくわかる」。今は食事や洗濯を進んで引き受け、妻を支える。
 2人が勤める埼玉県では05年、児童や生徒の学力・体力・規律ある態度の「三つの目標」達成を県教委が掲げた。以来「数字と格闘する日々」だという。
 県教委は基礎学力徹底のため、全小中学生に読み書きと計算のテストを毎年実施。教員は設問ごとに正答者の人数と割合を計算し、表にしなければならない。規律に関しては「脱いだ靴のかかとをそろえる」「登下校時刻を守る」など小学校72項目、中学校36項目について保護者と子どもにアンケートを行い、達成率をはじき出す。
 「議会で成果を説明するためか、偉い人の思いつきで振り回される。パソコンに向かうより、できない子の底上げをしたかった」。夫は振り返った。
 現役時代は「すっぽん」とも呼ばれた。不登校の生徒の自宅に通って勉強を教えたり、放課後にフィリピン人生徒に個別指導したりした。難しい生徒もあきらめないことからついたあだ名だが、「最後は生徒と向きあう余裕がなくなった。悔いが残る」と告白する。
   ■   ■
 学力低下が叫ばれ始めた数年前から、独自の学力向上策を打ち出す自治体が目立つ。土曜日や夏休みも使って授業時間を積み上げて、テストで成果を確かめる。わかりやすい結果を示すため、何でも数値化される。
 「国語への意欲を評価する材料として、各自の読んだ本の冊数をカウントしている。朝のあいさつをする児童の割合も数える。60%から80%になったら教師は評価されるが、残り20%の児童はどうなるのか……」。2月に開かれた日本教職員組合の教研集会で、広島県三原市の小学校で教える森崎賢治さん(37)が訴えた。
 数値の高い子が「いい子」とは限らない。本をよく読む女児の親から、深刻な事実を知らされた。「うちの子は休み時間も読書しているけれど、実は友達関係がうまくいっていないんです」
 森崎さんは自戒を込めて言う。「数字で評価していると、数字で表せない部分が見えなくなってしまう」
 教員評価でも、検証しやすい目標設定を教委が勧めるため数値目標を掲げることが当然になりつつある。
 「とにかく数字のオンパレードです」。埼玉県の中学校で教える女性教諭(57)は言う。年度初めに目標を書く自己申告票。見本として渡されるシートには数が躍る。管理職も忠実に従う。校長の自己申告票を女性教諭がのぞくと案の定、1〜3年生の保護者会の参加率を挙げ、「今年は1割以上のアップをめざす」という記述がみえた。
 迎合するつもりもないが昨年、「学級通信の週1回以上の発行」と書いてみると、校長は笑顔になった。
 「これはいいですねー」
/4 管理職希望者が激減
 二つの目覚まし時計が次々に鳴り、テレビの電源が自動的に入る。午前4時50分。慌ただしく風呂に入ってトーストをかじり、6時には家を出る。妻とも大学生の息子とも、1週間顔を合わせないこともある。
 朝7時に学校に着き、家に帰るのは夜11時ごろ。「まさにセブンイレブンの生活です」。東京都内の小学校の副校長(55)は自虐的に言う。
 「きょうは休みます」。早朝、保護者から入る電話を取るのは副校長。職員室に常に陣取り、学校事務や教員の管理、対外業務を一手に請け負う。
 「一線の先生たちが残っているのに『お先に』と帰れない」
 ストレスは多忙だけでない。前任校で学力アップを実現し「やり手」で通る校長は、数値へのこだわりが強い。基礎学力を確かめる校内の習熟度テストでは「高学年は85点、低学年は90点取得」を掲げる。
 道徳の公開講座の参加人数も気になるらしく、「何人来る?」と暗に催促された。慌てて保護者向けの連絡帳で参加を促し、緊急連絡網まで使って電話で呼びかけたが、前年並みの3ケタに届かなかった。
 校長室に呼ばれると渋面が待っていた。
 「私は不満です」
 朝、地下鉄が学校の最寄り駅に近づくと頭が痛くなってくる。以前は1日十数本だったたばこも、気づくと2箱目に手を伸ばしている。「目標をクリアするため、ただ走らされる。人事評価は校長がつけるので、異動希望調査で本音は書けない」。副校長はうめく。
   ■   ■
 管理職をめざそうとする教員が減っている。東京都では、かつて5倍を超えていた管理職選考が、昨年度は1・4倍にまで落ち込んだ。危機感を抱いた都教委は3年前から「希望者だけではなく、優秀な人材を確保したい」と、校長や教育長による推薦枠を設けた。
 病欠も多い。全国副校長会の調査では、07年度に連続2週間以上休職した副校長は292人で、110人に1人の割合に上る。
 副校長から降りることを望む教員も現れ始めた。文部科学省の調べでは、全都道府県と政令市教委のうち59教委が「希望降任」制度を創設している。最近5年間では毎年70人前後が、ヒラ教員に戻っている。
 「知人の副校長も疲れ果てて降任した。その後は元気になったらしいが、事情は尋ねにくい」。東京都内の中学校校長(53)は漏らし、続けた。「任が重い割に、報われないからでしょう」
 全教員の授業を見て回り、評価をつける。学校経営計画を立てホームページに載せる。学力不安が叫ばれ、公立校への視線が厳しくなるにつれ年々、校長の業務は増える。
 この中学校長も今春、慣れない仕事に追われた。「教員志望の学生さんにお願いしたいのですが−−」。近隣の大学の研究室に電話をかけ、土曜日の補習教室で教える講師探しに奔走した。新年度を迎えたが、定員は埋まっていない。
 「区教委の最大の目標は学力アップ。いい評価をもらうためではないけれど、やるしかないのです」
/5 組織化進む現場管理
 「こんな記事が出ている。把握していたのですか」。東京都目黒区教育委員会の職員は新聞記事に仰天し、ある区立中学校の校長に電話をかけた。
 「早急に事情を確認して、説明に来てほしい」。絶句する校長にたたみかけた。
 問題とされたのは、本紙2月23日朝刊(東京本社発行版)の「小学校英語に否定的、授業受けた中学生多数『役に立たず』」という記事。広島市で開かれた日本教職員組合の教研集会で、この中学の教諭が発表したアンケート結果を報じた。
 昨秋調査した中学生168人のうち108人は小学校英語が「役に立っていない」と回答。半数以上は「楽しくなかった」と答えた。
 小学校英語は、2年後に全面実施される新学習指導要領の目玉。文部科学省も今春から全国の小学校に約260万部の補助教材を配り、力を入れる。その矢先の否定的な報道に、区教委は慌てた。
 校長は「調査は知っていたが、発表するとは知らなかった」と釈明したという。
 教委の職員は「小学校でも授業改善を進めているのに『楽しくない』などというデータを出せば、(小中の)地域連携に影響する。中身を確認してから(発表を)進めてほしい」と厳しく叱責(しっせき)した。
 区教委は「授業で取ったデータを外に出す際、校長に了承を得るのは当然。そんなものがどんどん出れば保護者が不安になる。発表の内容を問題にしたわけではない」と説明する。
   ■   ■
 締め付けは年々厳しくなる。
 「私と意見が異なるようですね。別の学校で頑張ってはどうですか」。校長の方針に反対したら、異動を示唆された。そんな相談が年10件ほど舞い込むという、東京都教職員組合北多摩西支部。「数学の授業を習熟度別でやるとか、漢字検定の取得目標を定めるなどのトップの方針に異を唱えると、最後通告されてしまう」。6年前に都教委の人事異動の実施要綱が変わり、校長は自らの学校経営方針に基づき、異動を決められるようになった。
 組織も、管理しやすい形に変えられた。「鍋ぶた型」と呼ばれた平たんな学校組織は、企業に似た「ピラミッド型」になりつつある。先べんをつけたのは東京都。03年、校長と副校長の下に「主幹教諭」を置いた。08年施行の改正学校教育法で正式に位置づけられ、全国に広まった。
 都はさらに今春から、主幹と一般教諭の間に「主任教諭」という新しい職制を設けた。都教委は「管理職とコミュニケーションを図り、教諭との情報伝達をスムーズにする役」と説明。一般教諭とは生涯賃金が1000万円以上違うとあって、初の選考には1万3500人の枠を約5000人上回る応募があった。
 「かつて週1回あった職員会議は今、月1回。事前に管理職が大切なことを決めてしまい、口を出せない雰囲気」。東京都内の中学校教諭(58)は嘆く。
 この教諭も、主任教諭の選考を受けるよう校長に勧められたが、断った。「これ以上教員の間を分断されては、ますます何も話し合えなくなる」=つづく
/6止 討論から「学び」へ導く
 45分で100問。黙々と分数の足し算をこなす姿に、痛いほどの緊張感が漂っていた。埼玉大教育学部の非常勤講師、田所恭介さん(62)は2月、東京都杉並区の中学校で入学直前の小6を対象に開かれた補習教室を見学した。
 感想を求められた。「詰め込んで終わりでは、学ぶことが嫌になるのでは」。教員は当惑の色を浮かべた。36年間小学校教員を務めた田所さんには「私も面白い授業をしたいが、結果を求められているから仕方ない」という表情に見えた。
 経済協力開発機構(OECD)が3年に1回、15歳を対象に実施する国際的なテスト、学習到達度調査(PISA)での順位低下を機に、ゆとり教育への批判が高まった。多くの教委が基礎学力の徹底に力を入れ、点数主義が主流となった。
 そんな風潮に実践を通じ反論する先生がいる。埼玉県上尾市の小学校で教える渡辺恵津子教諭(58)は、「朝の発表」で一日を始める。家族について書いた作文を読み上げたり、どんぐりの実で作った笛を吹いたり。狙いは子ども同士が授業で討論する土台作り。「お互いのことがわかれば何でも言え、遅れがちの子も同じ土俵に立てる」
 討論は、学習意欲をかきたてる。6年生の算数で、風呂の水の量を牛乳パックで測ることにした。1リットルで何杯分か。ところが、ある男児の「パックはなぜこんな形なの」との一声で算数の枠を飛び出した。渡辺教諭は制止しない。沖縄県に流通するパックは946ミリリットルと知り、背景に米軍占領があったことを調べた女児もいた。
 「結果ではなくプロセスが大切。子どもの学びは仲間とのやり取りで動き出す瞬間がある。教師は教材を提供し、待てばいい」
 東京都八王子市立楢原小の中野博方教諭(53)も、会話のキャッチボールを大切にしている。
 「今日は公倍数。『公』の意味をよく考えて」。算数の授業の初めに考えさせる。「公園の公だ」「公立図書館の公」。中野教諭が「そう、公には一緒という意味がある」と合いの手を入れると、「一緒になる倍数だ!」と声がはじけた。
 予習で自信満々の子もいれば、「コウバイスウ」にとまどう子もいる。ただ全員が会話に参加しようと、先生を見つめる。中野教諭は言う。「教師が次々教え込むのではなく、子どもが自分で気づく瞬間を待つことが大事。自ら考え答えを出すのが、本当の学力なんです」
   ■   ■
 思考力を問うPISAで1位のフィンランド。習熟度別のクラス編成はせず、生徒間の成績比較もしない。現地を8回訪れた都留文科大の福田誠治教授は「先生は午後3時半には帰宅し、夜遅くまで学校に残る日本とは大違い」と言う。
 「すべてを数値化し、クラスの成績が悪いことを教員のせいと考える日本は、成果第一のノルマ主義に陥っている」。フィンランドの義務教育ではそもそも、教員評価も数値目標も一斉の定期テストもない。=おわり
   ×   ×
 この連載は山本紀子、井崎憲、三木陽介、加藤隆寛、平川哲也が担当しました。
============== 毎日新聞 2009年4月14日〜22日 東京朝刊